キリスト教教育とキャンプ

                                    町田クリスチャンセンター教育主事 杉本玲子

 キャンプというと真先に思いうかべるのがホイートン大学大学院でキリスト教教育を学んでいた時のことです。クラスも順調に終了し、いよいよ卒業という時、卒業試験はキャンプ場であると聞いて私たち学生は驚きました。「キャンプ場で卒業試験?いったい何をテストされるのだろう?」と恐れ惑ったわけですが、内容は行くまで秘密でした。

 キャンプ地に着くと、学生たちは二班に分けられて、それぞれ『ホイートンまるでダメ教会』の「牧師」「青年牧師」「教育主事」などの役割が与えられました。そしてそのダメ教会をどこをどのようにして改革していったらいいのか、現在の活動を評価し、教会の理念を見直し、新しく改革計画をまとめるまで話し合いをするというシュミレーションに基づいたものでした。勿論、その話し合いの中では、二年間で学んできた全ての学びの成果を現実的に見せなければならないわけで教授方が私たちの発言を全て聞きながら、時々メモをしておられたりして、大変緊張しました。授業では色々なことをずい分たくさん学んだような気になっていましたが、実際的に身についていたことが何て少なかったのかを思い知らされたような気がしました。

 でも、そういう緊張したときだけでなく、午後は、教授の先生方と一緒に乗馬で遠乗りに行き、カヌーをこぎ、ロッククライミングを楽しみました。それもただの遊びではなく、カヌーをこぐことを通して、カヌーはみんなで力を合わせてこがないと進まないことを教えられ、ロッククライミングや乗馬でも、自然に逆らうのではなく、自然の中での活動をみんなで楽しむことを学んだのです。それに加えて、野外でキャンプをする時に必要な技術を身に付けることができました。そして夜は、暖炉を囲みながら、先生方と楽しく交わり、またビジョンを分かち合って祈りあうことができました。もちろん試験は全員合格したことはいうまでもありません。

 私はこのことを通し、日本とアメリカの教育の質が全く違うのにショックを覚えました。日本でいう教育とは、神学校教育も含めてほとんどが知識の暗記であるのに対し、アメリカでの教育は、学んだことを実際に適用し、現状の分析、統合、そして評価することまでも含み、そしてそれら全てを実際に体験を通して身に付けていくことまで組み込まれていたのです。考えてみれば、イエスが十二弟子を教育された方法がまさにこれであり、神がイスラエル民族を荒野で訓練された方法もこの実地訓練でした。このために用いられたのが野外であり、野外こそ最高の教育・訓練の場であったわけです。

 こういうわけで私は、子どもだけでなく大人にとってもキャンプが、多くのことを学び、また学んだことを実際に体験することの出来る最高のセッティングの一つであると思います。クリスチャンは皆、旅人であり寄留者であり、キャンパーであると思うのです。

 「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。(ヘブル11:13)」

    (1997年4月 CMNのニュースレターに掲載されたものです。)
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