キャンプの社会学(The Sociology of It All)

                                              Bob Kobielush 訳:鈴木敦子

 クリスチャンキャンプは、毎年多くの人々が人生を大きく変えるような決断をするというユニークな場である。私たちはそのことを事実として終わらせずに、「なぜ」そうであるのかを明らかにすべきだと思う。もちろん、それなりの理由をいくつか並べることはできる。例えばキャンプという場の物質的、霊的、心理的な面だ。しかしその前に、社会学的な面が大いに影響していることを忘れてはならない。社会学は人の行動に関するもので、人々が何を信じ、何に価値を感じ、どんな人間関係を持っているかといったことに表され、見出される事柄を扱う。確かにキャンプという場では、このようなことが理解されていなければならない。これらの事と照らし合わせて、いくつかの原則を考えてみましょう。

 クリスチャンキャンプにおいては「一つの社会的現実が、少なくとも同等の重要性を持って、もう一つの現実にとって変わる」
 第一の現実とは、様々な人や多様な期待に囲まれた毎日の生活である。第二の現実とは、つまりはクリスチャンキャンプで、集まる人やその期待といったものはある程度共通したものといえる。この第二の現実はいわば「山上での経験」がなされる所で、作り出された社会的な場としていつかは終わるものであり、現実の環境ではない。しかし、第二の現実の中では、人々に必要なオアシスや、練習の場が与えられ、キャンパーが人生の基本的な理解、あるいは更に深い理解に達する助けとなる。そしてそれは当然、毎日の生活という第一の現実に影響を与えていくのである。
 私たちの生活する現実世界では、人が受け入れられるかどうかは、適切な行動をするかどうかで決まる。第二の現実では、その人がただ単にキャンプに参加しているだけで、唯一かけがいのない個人として受け入れられるのである。適切な行動をするかどうかという規則は最小限に抑えられ、「ありのままのあなた自身」が大切にされる。こうした変化だけでも、休息や楽しさを与え、新しい機会に対して心を開かせてくれる。人が休息したり、リラックスしたり、自己を発見するといったようなことは、神が七日目を造られたように、人間の存在にとっては、ごく基本的なものなのである。

 「生活のすべてを同じように体験できる」
 自分の家庭以外で、キャンプのような場ほど、生活の中で起こりうる全てのことが当たり前に行なわれる所はない。キャンパーは共に食事をし、眠り、遊び、交わり、風呂に入り、祈り、礼拝する。長い間教育者たちは、学習には多種多様な経験をすることが必要であると言ってきた。キャンプではある程度制約された環境の中で、生活の多様な面が人との関わりにおいて実演されるのだが、それがいわば実験室となる。そして「一緒に生活する」ということが、良い思い出を作るだけでなく、日常生活に応用できるレッスンを与えてくれることになるのである。

 「外からの良い影響を受ける」
 このように集中した場においては、キャンパーには観察したり、参加したり、調べたりする機会がある。この参加者が互いに交わったり、スタッフと話したり、思い巡らしたりする時に、互いの行動の変革を及ぼす可能性が大きくなる。否定的、不適切な先入観、偏見は脇に置かれ、こうした肯定的な影響が人に及び、個人の生活に浸透していくのである。

 「内にあるものを外に表現する」
 自分の考えや確信を他の人に表現しない、ということがあってはならない。単純で、暖かく、常に変わらないキャンプの環境を通して安全用のネットが作られ、それによって自分の言いたいことを言う事が許されるだけでなく、促されるのである。その中で、人は開放感を覚え、日常生活で「言ったこと」をどう行なっていくかを学ぶのである。大切なのは、「現実の世界」で「確信した事をどう生き抜くか」なのだが、キャンプでは、言葉や考えを行動に移すことを試すこともできるのである。

 「頭が心に結び付けられる」
 言うまでもなく、頭は学問的知識の象徴であり、心は情熱や感情の象徴である。もしどちらかを人生において有効なものにしようとするならば、両方を持っていなければならない。それらはバラバラに独立したものではなく、一つに結び合わされて私たちの内に取り入れなければならない。例えば、知恵と力は知識を応用した結果であって、ただ単に「知識を」所有しているだけでは何も起こらない。 
 知識は、キャンプを経験する中で人々の行動を観察し、実行してみることによって、個人の中で統合され、取り入れられる。ピリピ4章9節でパウロはこう言っている。「あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなた方とともにいてくださいます。」
 ヨハネ18章で主を否んだペテロと、使徒2章でペンテコステの日に立ち上がって説教をしたペテロはどう違っていただろうか。知識が統合され、内に取り入れられたのではないだろうか?頭と心が結びつけられたわけである。キャンプでの経験は、信仰を統合し、内に取り入れ、成長していくのに確かに役立つのだ。
人は
・読んだことの10%
・聞いたことの20%
・見たことの30%
・見て聞いたことの50%
・言ったことの70%
・行動しながら言ったことの90%

                      を覚えているといわれている。まさにクリスチャンキャンプという社会的な場は「行動しながら言う」環境である。本当の行動の変革はここから始まる。

"The Sociology of It All" by Bob Kobielush  
Journal of Christian Camping  January/February 1997より

    (1998年5月 CMNのニュースレターNo.3に掲載されたものです。)
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